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大津茂巳写真集 VOL.1

歴史が繰り返しやがてこの世界が廃墟となりませんように···。

大津茂巳写真集     

雲上の楽園

幻の雲の上の都市 松尾鉱山             

仕様:A4判(W297mm×H210mm)上製本カバー装48頁

本体価格3,780円(税込み)(本体3,600円)

ISBN 978-4-87430-034-3

まぼろしの雲の上の都市 −松尾鉱山

 

 日本は明治維新を経て、早急に産業の近代化を推し進めた。当初近代化産業に必要な資源を国内に求め、石炭を筆頭に開発・供給が始まった。この中、松尾鉱山の歴史は明治15年、岩手県松尾村の佐々木和助、和七兄弟による硫黄鉱床の大露頭発見から始まる。東洋一の規模を誇り、標高1,000m、人里離れた厳しい気候の山中に、独立した自治都市のように一つの会社が機能した。最盛期人口15,000人の元山地区(緑ヶ丘)には、近代的な集合住宅、学校、病院、映画館(老松会館・友愛ホール)等が立ち並んだ。そしてマスコミはこれを「雲上の楽園」と呼んだ…

  その後、国策にものった硫黄、硫化鉱の生産であったが、昭和30年代に入り、安い国外硫黄の輸入や化繊、パルプ業界不振の影響などで会社経営に暗雲が広がっていたところへ、いわゆる回収硫黄(石油精製の過程でできる)の出現が決定的なダメージを与えた。昭和44年11月、半世紀の栄華を誇った東洋一の硫黄鉱山もついにその幕を閉じた。

 松尾鉱山は特に坑道跡や山中の硫黄に雨水や雪解け水が触れて、pH2.2という強酸性の鉱毒水がわき出し、北上川を赤茶けた「死の川」にしてしまった。松尾鉱山の鉱毒水は、処理施設の建設によって清流を取り戻そうと毎年約6億円の費用を掛けている。また施設の建設費93億円を含め、鉱山閉山後の環境対策に356億円もの税金を費やしている。

 鉱山栄華のあと負の遺産として生き続ける松尾鉱山…

 このように明治維新から昭和初期、そして戦後の高度成長期には様々な産業を生んでは破棄していった。

その生産と破棄の繰り返しで私達の国は豊かになっていった…

自然破壊を代償に、数々の公害を残していき、その上に私達の現在…物が有り余る豊かな生活が存在している。

そして役に立たなくなった物は破棄され、そんな産業遺産は日本のあちこちに忘れ去られて朽ちている。

忘れ去ってはいけない負の遺産である。

負の遺産を記録として残し、このような過去があるから今があるのだと伝えなくてはならない。

 

次世代に伝えていかなければ… 

残していかなければ…

また、同じ遺産を増やすこととなるであろう…